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2008年09月14日
内田慶選手のレース中の事故死について
彼と初めて出会ったのは、たしか前橋で行なわれた2000年シドニー五輪の代表選考会だ。 その時にサインを求められてそれに応じた。 その2年後に彼は競輪選手としてデビューして来て順調にランクアップして来た。
普通に考えると60キロから70キロで転ぶって凄い事なのだが、いつも目にしているので正直見慣れてしまっている。 落車をすると担架に乗せられ医務室に運ばれるのだが、心配になり医務室に駆けつけるが内田が帰ってこない。 しかし数分後に誰かが、「走路で血を吐いて倒れているらしい」、「補助員が動かせないらしいよ」という声が選手の間から聞こえて来た。 数分後に何故か消防車が到着。 さらに数分後に救急車が到着。 救急隊員じゃない誰かが内田の蘇生を計っている。 地面低く担架の上で寝ている内田を足の方から見ているが、足の裏の角度に力が無い。 死に瀕しているであろう内田に「内田頑張れ!」と叫んでみるが返事が無い。 叫び続けても隊員の邪魔になるので心の中で叫び続ける「内田死ぬんじゃねーぞ!頑張れ!持久力があるんだから絶対に助かる!」 数分後に救急車で搬送する準備が始まって、救急車が出る間際に叫ぶ。 救急車が病院へ向かった。 選手の心情を察して、全てのレースが終わった後に内田の死亡が告げられた。 栃木県選手の部屋に居たのだが、最初に坂本さんが号泣し始めて続いてみんなが泣き始める。 泣いたのは何年ぶりだろう? 最初は宗影さんと二人で、その後にみんなが来て内田の荷物を片付ける。 警察が検車場で内田の自転車を調べたり写真を撮ったりしている横で、事故に関係のない内田の荷物をハードケースに詰めて、栃木に送り返す準備をしていた。 内田のヘルメットもあった。
タクシーで5分移動して着いた。 内田、本当に死んでるの?と思う位に外傷が無い。
彼の競技者としての凄さは今更言う事もないと思うが、短距離(国内競輪)と中距離(4KM個人追抜)を両立して結果を出したとても凄い選手だった。 彼はスポーツ選手としては珍しく自分のスポーツだけの話ではなく、他の分野の話をしても全て快く聞いてくれ、頭脳も明晰で、とにかくウマが合った。 本人には言っていなかったが、一生の友達だと思っていた。 競輪のイベントで急に呼び出した時も「競輪にはお世話になっているので行きますよ!」と自分の用事をキャンセルしてまでもイベントに協力してくれた。 誰からも好かれ、愛嬌も抜群で、彼の事を嫌いな人は居なかったと思うし、私も心から大好きだった。 遺族の事を思うとどこまで書こうか迷ったが、内田と話ができるなら彼は一つ返事で快くOKしてくれると思い書いた。 実は内田の最初のマイミクは私なのだが、天国のネット環境は最高だと思っているので、ある日突然に、うっちまさんからメッセージが届かないかな? 自転車が大好きだったあなたは、天国でも自転車に乗り続けている事でしょう。
最高の友達だぜ!!!!!!! 本当に今までありがとう!!!!!!!! 投稿者 長塚智広 : 2008年09月14日 23:58 | お知らせ | コメントするトラックバック
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長塚智広Profile
1978年茨城県取手市に生まれる。取手一高にて自転車部に入部。1998年プロの競輪選手としてスタートする傍ら、2000年のシドニー五輪に出場。2002年、シドニーW杯において、チームスプリント競技で金メダル獲得。250Mのタイムは世界トップ3に入る実力。アテネ五輪出場も無事決まり、メダルの獲得が期待される。 |